●「続・知らざる日豪関係」(106)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


ダーウィンの空港に着いて、涼しい機内から焼けたフライパンのような滑走路に降り立つと、強い陽射しが皮膚をこがすようだった。
 夕方やや気温が下がりはじめた頃、私はパイパー氏の紹介で予め連絡を取り合っていた航空史研究会のメンバーの一人と、ホテルで待ち合わせ、月例研究会のある格納庫オフィスへと出かけて行った。
 格納庫は、どこの飛行場にでもある大きなカマボコ型の、古い建物だった。
 戦時中はオーストラリア海軍の軍需部倉庫として使われており、いく棟もの建物からなる大格納庫群だったが、一九七四年にダーウィンを襲ったサイクロン『トレイシー』で、現在残る一棟を除いて完全に破壊され、そのご補修作業もされぬままだという。」