●「続・知らざる日豪関係」(114)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「しかしもし、航空史研究会の会員たちがここに運び出していなければ、たとえ材質が優れていたとしても、いつかはあのサイパンの海辺やニューギニアの林の中に眠る武器の残骸のように、無残に朽ち果てていたことだろう。
 航空機の良し悪しが、すなわち勝敗を決するといわれた太平洋戦争で、その代表的存在であった零式戦闘機にはじめてじかに触れ、私は興奮していた。
 日本海軍の叡智の結晶であり、日本のテクノロジーの粋であるといわれた零戦を前に、戦後派といえど、やはり私も『日本人』だったのかもしれない。
 だが、もしも私が、この零戦を兵器の一つとして見る眼、感じる過去の経験を持っていたならば、薄い操縦席の側板や防弾ラバーのないタンクを見て、おそらくまったく別の驚きを感じていたに違いない。」