●「続・知らざる日豪関係」(142)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「挨拶をして家の中に入れてもらうと、小ぎれいな風通しの良い部屋で、テーブルをはさんで私たちは話しはじめた。
 かれは最初、あまり当時のことは話したくないのだろうか、と思うほど口数が少なかった。
『そうです、日本軍の飛行機がむこうの空に見えて、それから教会の一人が通信機のところへとんで行き、ダーウィンへ連絡したんです』
 通信機というのは、教会のわきに設置されていた小屋の中にあったもので、本来は沿岸警備隊の連絡用として備えられていたものである。
 しかし島と本土を結ぶ電話がなかった当時、これはミッションの人々にとって重要な連絡手段として利用されていた。」