●「続・知らざる日豪関係」(149)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「あっという間に海岸線を通過し、ひろびろとした海上に出る。
 やがて離陸してから三十分後、フロント・スクリーンを通して、オーストラリア大陸の赤い大地が見えてきた。
 高度こそ違うだろうが、一九四二年の二月十九日、若き海鷲南忠男は、攻撃隊員の一人として操縦桿を握りしめながら、この針路をとっていたことだろう。
 そして五日後の二月二十四日、ふたたびこの針路を、こんどは赤土の大陸を目にすることもできずに飛んでいたに違いない。」