●「続・知らざる日豪関係」(150)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「第二章 赤い服の群れの中で            
 
 ダーウィンで逮捕され、捕虜として登録されたのち、南はダーウィン市の南1〇〇キロほどのところにあるアデレイド・リヴァーの病院で、傷の手当を受けていただろう。
 捕虜移送記録や、オーストラリア陸軍側の捕虜取扱指導記録によれば、大陸北西部で逮捕された捕虜はアデレイド・リヴァーへ、またニューギニアやその付近の海域で捕虜となった者は、クインズランドブリスベンに上陸後、ここの病院で手当てを受けることになっている。
 南の場合、(中略)疾患は『右眼上の裂傷』だけであり、熱帯性の病気や栄養失調などの症状はなかったようだから、アデレイド・リヴァーでの入院生活も、かなり短かったものと思われる。」