●「続・知らざる日豪関係」(152)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「(中略)これらの移動記録でわかるように、南もカキモト(注:南よりもあとだが、比較的早い時期に捕虜となった軍人)も、また五人の軍属も、みなヘイ収容所で合流して数カ月間生活をともにし、それからカウラ収容所へ送られている。
 したがって全員ほとんど同じ生活をしていたはずなのに、ただ一人南だけは、行く先々で拘置場や病院などに、実に頻繁に出入りしている。
 拘置場も病院も各収容所に併設されているが、一応所外の独立した棟として捕虜たちの居住区域から隔離されており、したがって入院は『出所』となり、退院は『入所』という形になる。
 この『入所』と『出所』が、南の場合は非常に多い。
 病院だけでも合計五回も入っている。」