●「続・知らざる日豪関係」(153)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


ニューギニア方面で捕虜となった者ならば、マラリアの後遺症や、栄養失調からくる体力の衰弱などで、体に変調をきたしていたということも考えられるが、搭乗機墜落後わずか五日目で捕虜となった南の場合、それはなかっただろう。
 最後に入院したときは、扁桃腺炎となっているが、あとの四回の入院に関しては病名が記されていないので、なんのためだったのかわからない。
 これに関して私はいろいろ考えてみたのだが、かれの入院した季節をみて、はたと思い当たった。
 南が入院したのは、五月、六月、八月、十月である。
 これらは南半球のオーストラリアでは、秋、冬、春なのだ。」