●「続・知らざる日豪関係」(159)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「それとも脱走ではなく、なにか裁判を必要とするような、行為を犯しての拘置だったのだろうか。
 この七日間の拘置を解かれたのち、南は二回の入院以外は何の問題も起こしてはいない。
 そして約1年後の一九四四年八月五日に、暴動事件で死んでいる。
 南がメルヴィル島に墜落し、生き残った日から数えて、八百九十八日目である。
 この八百九十八日間の間、なぜ南はこうも頻繁に病棟や拘置棟に出たり入ったりしているのだろう。
 ほかの捕虜名簿を調べてみても、他の捕虜たちが一度収容所に入ってしまえばまるで籠の中の鳥のように、実におとなしくしているのに比べ、南の記録はたとえその理由が病気であったとしても、あまりにも複雑である。」