●「続・知らざる日豪関係」(163)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


ニューギニアでの日本軍の敗退に比例し、陸軍捕虜が増えたからだろう。
 暴動当時のBコンパウンド(注:カウラ第12戦争捕虜収容所内の「日本人捕虜」がいた構内)捕虜リストでは、八〇パーセントが陸軍捕虜である。
 比率からしても代表を陸軍捕虜から選ぶのは自然であるが、しかし堂(注:このあと、日本人捕虜の名前が続く)の言葉にあるように、陸軍の金沢、小島がそれぞれリーダー、サブ・リーダーになり、海軍の南が第三番の『アシスタント』リーダーになろうとも、やはり絶対的な主導権は南の掌中にあったようだ。
 兵、下士官分離移動通達を、南が司令官の前で抗議したのち、日本兵捕虜たちは会議を開いて、これを拒否することに決定。
 ついに一斉蜂起の時機到来となる。」