●「続・知らざる日豪関係」(164)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「通達後から暴動勃発までの経緯は『事件経過報告書』にはまったく記されていないが、私が戦争記念館で入手した資料の中に『捕虜供述書』があり、この中でおよその経緯が述べられていた。
供述書は二枚あり、一枚は金沢のもの、もう一枚は吉田という捕虜の名前になっていた。
いずれも暴動後も生き残り、司令部によって書かされたものである。
『目的 日本人として捕虜たることは、堪え難い恥辱であり、われわれは心中つねに死の機会をうかがっていた。
この兵下士官の分離問題は、その[死]の機会を与えてくれたのである。
この行動は11〇四名の、全員一致した結論の結果である』(金沢)」