●「続・知らざる日豪関係」(168)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「ふたたび公文書『事件経過報告書』にもどる。(中略)
『攻撃はあらかじめ申し合わされてあったであろう信号ラッパに先導された。
 それぞれに二百名から三百名の集団が、四箇所(他のすべての記録では三カ所となっている=著者注)の有刺鉄線柵へ暴走、二つの集団はブロードウェイに至る有刺鉄線柵へ向った。
 捕虜らは武器として野球のバット、棒、即製の棍棒、そして研磨された食事用ナイフ、あるいはキッチンナイフ、さらにいくつかはノコギリ状に歯を立てたもの、先端を鋭利にしたものなどがあった。
 捕虜らは余分に被服を着用し、さらにその上にタオル等を巻いていた。」