●「続・知らざる日豪関係」(171)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「『ブロードウェイ内に脱出した捕虜らの一集団は、北側の二重ゲート急襲に北へ向ったが、ゲート付近に配置していた監視兵らのライフルと自動小銃により阻止された。
 他の一集団は南側二重ゲートへ向った。
 この集団もゲートと監視塔の監視兵のライフル、自動小銃により阻止された。
 同時に他の一集団が、ブロードウェイから朝鮮人捕虜及び台湾人捕虜の区画であるD1コンパウンドに至る二重ゲートを押し開いたが進入せず、また朝鮮人も台湾人も暴動には関与しなかった。
 続いて日本人将校捕虜区画であるD3コンパウンドへ至る、内側及び外側ゲートが押し開かれた。
 約五十名の脱走者がこの日本人将校捕虜コンパウンドに進入し、明け方に退出してくるまで、ハット内に残留した』」