●「続・知らざる日豪関係」(175)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「キャンプ・リーダーの金沢を除き、日本人捕虜の個人名はこの報告書の中にはまったく見られないのに、南の名前だけは数回出ている。
 それどころか、かれの遺体の発見された場所やその様子までも書かれているのだ。
 日本人の民間人、軍人の間だけでなく、こうしてオーストラリア人たちの間でも目立つ人物というのは、かりに現代の社会にあっても相当稀な存在ではないだろうか。
 やはりがっしりした体格、ハンサムな容貌、英語に堪能、そしてもう一つ、かれには何か目立ち得る個性があったのだろう。
 報告書は続いて、逃亡した捕虜の捜索について述べ、九日後の八月十三日までに二十五遺体を含む三百三十四名の捕虜を再逮捕したと記している。」