●「続・知らざる日豪関係」(176)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「(注:当時、カウラの住民たちは、「逃亡した日本人捕虜」と知りながらも、彼らが自宅の食糧や飲み物などをあさっているのを「黙認した」だけでなく、「積極的に与えていた」という話を何度も聞いた)。(中略)
 公文書の事件経過を読んだあと、私はますますわからなくなった。
 メルヴィル島で命拾いし、ラヴディ収容所で脱走を試み、ヘイ収容所でも脱走を企てていたらしいかれが、なぜ暴動の中心人物になってしまったのだろうか。
 前二回の脱走未遂と脱走計画の目的は何だったのか。
 それまで私は何度となくカウラの町や収容所跡を訪れていたが、カウラの町の住民たちは、口を揃えて『日本兵は脱柵し、海の方へ走って行けば逃げられる、海まで行けばもう自分の国は近い、海岸へ出て船でも盗めばもう海の向うは日本だと思っていたのだ』といっていた。」