●「続・知らざる日豪関係」(179)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「南のように戦争初期に捕虜となり体力も消耗していない者ならば、飛行機など奪取せずとも五、六日で踏破できる距離である。
 ヘイ収容所で南がヤスムラに誘いをかけたのはいつのことかわからないが、少なくともそのときにはまだ脱走する気があったということだろう。
 このヘイ収容所からカウラ収容所へ移されたのは一九四三年の一月である。
 マツモトの密告情報により強硬派の暴動計画が発覚したのが一九四四年の六月だから、その間一年と数カ月の間に南は脱走を完全にあきらめ、こうした集団暴動の方向へと計画を変更していたのだろうか。」