●「続・知らざる日豪関係」(190)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「もう一つの『文芸春秋』の抜粋は、昭和三十八年(一九六三年)三月号に掲載された、『偽名戦死の墓』という十一頁の記事で、カウラ収容所の事件と、これも似たような事件があったニュージーランド・フェザーストン収容所のことを書いたものである。
 著者斎藤静八郎氏(元海軍大尉)は、戦後、浦賀引揚援護局の調査班長を勤め、ここで復員業務にたずさわっている際にカウラからの帰還者を担当し、そのときに作成した記録によるものだった。


『私の前に立った報告者は、及川晃という若い海軍少尉だった。・・・・・
 いま、ここにこの時の記憶と、少尉が特に記した報告書とをもとにして、知る人の少ない秘話[カウラの暴動事件]を想い出し、再現してみる』」