●「続・知らざる日豪関係」(191)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「及川少尉ら帰還者が援護局に現われたのは,昭和二十一年(一九四六年)四月三日だったという。
以下その少尉からの報告が続く。


『及川少尉の報告書には、そのキッカケがこう記されている。
下士官、兵ノ分離収容ノ件ガ、濠洲側ヨリ提示セラレタレバ,分離前ニ共ニ行動ヲ起サントスルノ気運ニ到リ、議決シ、八月五日午前二時行動ヲ開始セルモノナリ](中略)
 引揚援護局にあった当時の″極秘″報告書は暴動の目的をこう記録している。
[収容所の敵軍の安全を瓦解せしめ、彼等の生命を犠牲に供するにありたり]」