●「続・知らざる日豪関係」(195)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「だからこそ南も戦場と同様の『突撃ラッパ』を吹いたはずだ。
 だが、ちょっと思い出していただきたい。
 私が入手した公文書『事件経過報告書』の中では、暴動でブロードウェイに脱出した兵、下士官捕虜が将校キャンプになだれ込んだが、ここで完全に鎮圧されているのである。
 これについてハリー・ゴードン氏(注:カウラ事件について冷静に調べたオーストラリア人で、『DIE LIKE THE CARP』【鯉のように死ね】の著者)は情報部の記録をもとに次のように書いている。
『D地区の将校とB地区の兵卒の関係は、事件後数週間にわたって情報部将校の間で検討された。
 両地区の間で手旗信号や暗号の連絡のあったことは判明したが、将校らが暴動に関与したとは思われなかった。
 決定がなされ、暴動が開始されるまでの間に連絡を取りあう機会はなかったのである』」