●「続・知らざる日豪関係」(207)

 
 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「高空低空と繰り返し旋回し、さまざまな角度から写真撮影をしたのち、ふたたび私はシドニーへ帰った。
 そして暗室に閉じこもると、すぐにフィルムを現像し、大きく引き伸ばしてみた。
 天気も良く光の状態にも恵まれていたために、コンクリートの跡も牧草地の細部も、かなりはっきりと写っていた。
 早速その写真の上に、当時の収容所の写真や平面図と照合しながら、復元図を書きこんだ。
 捕虜用宿舎ハット、食堂ハット、そしてブロードウェイの柵など、できる限り細かく再現してみた。
 当時収容所司令部が使っていたであろう道、カウラの丘,それに今も残る捕虜出入所用のレンガの門柱などがあるので、この復元作業は比較的楽なものだった。」