●「続・知らざる日豪関係」(208)

 
 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「復元図ができ上がると、私はオーストラリア人の友人S君をともなって、また六時間の道を車でカウラへと向った。
 すでにこれで二十数回目のカウラ行だったが、他人と、それもオーストラリア人と行くのははじめてだった。
 ニュー・サウス・ウェールズ大学の学生であるS君は、もちろんこの事件について知っていた。
 牧草地の中に入るとまず復元図と平面図、それに磁石で、カウラの丘の岩からそれぞれの建物があった位置を捜し出す。
 そして日本兵捕虜がブロードウェイへ脱柵したところから最も近い、食堂ハット,事務所ハットの跡にS君に立ってもらい、そこから私は巻尺で脱柵地点までを計った。」