●「続・知らざる日豪関係」(209)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「どこがハットの出入口であったかわからないが、柵側に出口があったとすれば、最も近いところで五二メートル、反対側にあったならばハットのわきを大きく回るので九八メートルほどになる。
そして柵の幅、つまり何重にかになっている柵のコンパウンド側の柵からブロードウェイ側の柵までの距離は一五メートル。
次にこの脱柵地点からブロードウェイの跡を南へ歩き、Dコンパウンド将校キャンプのゲート跡までを計る。
脱柵は長さ五〇メートルの範囲にわたって行われているし、ブロードウェイも幅四五メートルもあるので、いずれも最短距離と思われるところで計った。
その結果は、約四二五メートルである。」