●「続・知らざる日豪関係」(210)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「これが、暴動の際、兵、下士官捕虜が将校キャンプにたどりつく最も近い道のりのはずだ。
 次にこの順序に従って、S君に走ってみてもらった。
 収容所跡地は全体としてカウラの丘から西南西の方向へ、つまりイタリア兵捕虜がいたAコンパウンドからやはりイタリア兵捕虜がいたCコンパウンドへ向って、緩やかに傾斜している。
 したがってS君はブロードウェイ跡を走るとき、この傾斜地をトラバースすることになる。
 さらに足元の牧草地はやわらかく、こまかいでこぼこがあるためにあまり走りやすいとはいえない。
 しかし身長一八五センチ、水泳選手のS君はさすがに速く、およそ二分四十秒で私の立っている将校キャンプ・ゲート跡にたどりついた。」