●「続・知らざる日豪関係」(215)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「歩哨の立つBコンパウンド入口跡でこれだから、もっと離れたらまず解読は無理だし、軍隊で使う大きな手旗でも困難だっただろう。
さらに両者の間には、身長より高い柵がいく重にもあったのだ。
目の高さでは、互いの姿を見ることなど、ほとんどできなかったに違いない。
あるいはほかの方法でもあったのかと考えてはみたが、ナイフ、フォーク、棍棒を『武器』とした日本兵が、それ以上に高度な連絡手段を持っていたとは思えない。
やはりBコンパウンドの兵、下士官、Dコンパウンドの将校らとの間には、連絡手段などまったくなかった、とみてよいのではないか。」