●「続・知らざる日豪関係」(216)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「暴動勃発のとき、『デテクルテキハー ミナミナコロセー』と南の吹く突撃ラッパを聞いても、湧き起った怒号を聞いても、将校たちは日本兵の『異常事態』には気づいたであろうが、それが何であるかは知らなかったのだ。
 そして飛び込んで来た下士官、兵の捕虜にようやく事態を呑み込んだが、ときすでに遅く、監視塔からの銃撃が激しくなっており、簡単に鎮圧されてしまったに違いない。
 また日本軍将校クラスの一部は、捕虜の人権を定めたジュネーブ条約について多少の知識を持っていたと聞くので、それゆえにむしろ関与を拒否し、事件後になってから『帝国軍人』としての体裁をつくろっていたのかもしれない。
 カウラ捕虜暴動事件はBコンパウンドの中で計画され、Bコンパウンドの中だけで実行されたものと思われる。
 そして南忠男が、やはりその首謀者だったのだ。」