●「続・知らざる日豪関係」(218)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「その元収容所日本語通訳の名前は、O・E・ノーヴァル氏、当時はオレッグ・ネグレヴィッチ軍曹と名乗っていた。
カウラ関係の公文書には、マン大尉と並び頻繁に名前の出てくる通訳の一人だった。
ある週末の午後、私は紹介してくれたシドニー大学の教授とともに、ネグレヴィッチ氏の自宅を訪れた。
シドニーの北の郊外にあるかれの家は、生活水準が高く大きな家が多いオーストラリアでもとくに目立つ、林の中の豪邸である。
六十を過ぎたばかりのかれは、会社経営にも成功し、終戦直後に結婚したという日本人妻澄江さんとともに、その広々とした家でゆったりと暮していた。
応接間に通され、ソファに腰を降すと、私は早速質問を切り出した。」