●「続・知らざる日豪関係」(221)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「なぜ突撃ラッパを吹いたのか。
 金沢が主役であり、南は単にラッパを吹く役を与えられたにすぎなかったのだろうか。
 この点に関し、私はかなりしつこくネグレヴィッチ氏に念を押したが、かれの答えは変らなかった。
 首謀者は南ではない、では誰が、ということになるとかれもまったく知らぬようであったが、南のことだけは強く否定し続けた。
 そしてかたわらのパイプにタバコをつめ、火をつけながら、かれは収容所時代のことを話しはじめた。
『私がカウラへ行ったのは、一九四三年のことでした。
 まだ二十一歳のときです。」