●「続・知らざる日豪関係」(225)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「当時収容所内のイタリア兵捕虜は、所外作業にも監視委兵の付き添いなしで、かなり自由に出かけて行ったという。
 日本兵も川のそばで野菜を作っており、ときに出かけて行くことはあったが、かれらの場合は監視兵の同行なしでは一歩も出ることは許されなかった。
 敵意などほとんどなく楽天的で開放的だったというイタリア兵捕虜に比べ、『虜囚ノ辱(はずかしめ)』にうちひしがれ元気なく毎日を過ごす日本兵は、オーストラリア人監視兵の眼には、かえって不可思議な、また不気味な存在だっただろう。
 それゆえに南のほうからネグレヴィッチ氏に会いに行くことはできず、いつもかれがコンパウンドの中に入って行っては話しかけたのだという。」