●「続・知らざる日豪関係」(227)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「ネグレヴィッチ氏は満州ハルビンで、裁判官を父に持つ旧家に生まれた白系ロシア人だが、幼少の頃から満州の大学を出るまで、常に日本人と接していたので、日本の家庭生活もよく知っていた。
 おそらくかれは、そんなお互いの少年時代の話を、南と交わしたかったのだろう。
 しかし親しい間柄になりながらも、南はついに腹を割って話してはくれなかったらしい。
 ネグレヴィッチ氏は、歯がゆそうな表情で、南の思い出話を続けた。
『われわれの会話は、いつも英語でした。
 かれは英語が非常に上手でしたからね。よく練習していたようです。」