●「続・知らざる日豪関係」(228)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「しかし・・・・・・そばにほかの日本人捕虜がいるときなどは、英語で話さず日本語で話しかけてきました。
 英語で話していても、日本人が来ると途中で日本語に変えてしまうんですね』
 兵、下士官分離移動通達で、司令官に対して堂々と英語で抗議するほどのかれが、なぜこんなところで他の捕虜に気がねするかのように、英語と日本語を使いわけていたのだろう。
 捕虜社会における『世間体』のような何かがあったのか、人間くさい一面をうかがわせるエピソードである。
 そのほかネグレヴィッチ氏は、さまざまな南の思い出話をしてくれた。
 服装が常に整っていたこと、いつもきれいに髭を剃り、髪を整えていたこと、いずれも多分に『親友』としての感情が入っているのだろうが、かれの話からは強硬派最古参としての、牢名主南忠男のイメージは感じられなかった。」