●「続・知らざる日豪関係」(231)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「それは暴動事件当時、かれの身辺に起こったさまざまな出来事を、詳しく書き綴ったメモだった。
『たしかにわれわれは、日本兵らが脱走をする気配があるとの情報をつかんでいました。
 それが起こるだろうということは、わかっていたんです。 
 しかし問題は日時だ、これがわれわれにはまったくわからなかったんです。
 さまざまな角度から調査しましたし、情報蒐集もしました。
 が、ついに駄目でした』
 やはり最初の情報入手は、朝鮮人捕虜のマツモトからだったという。」