●「続・知らざる日豪関係」(234)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「それどころか、かれは、
『私はいつも、あのキッチンで縊死したサブリーダーの小島こそが、主導者だと思っていた』
 という。
 通訳であったネグレヴィッチ軍曹も、情報部だったボーマン准尉も、いずれも南を暴動の中心人物とはみなしていなかったのである。
 『南首謀説』をかため、的を絞るつもりではじめた取材が、次から次へといひろがってしまい、私は窮してしまった。
 森木勝氏から手紙が来たのは、それから数カ月後だった。
 南忠男とカウラとの関係を調べはじめて以来、私は何度か森木氏に手紙を書いていた。」