●「続・知らざる日豪関係」(236)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「そして今回森木氏から届いた手紙は、高知県ニューギニア会と、濠洲カウラ会会長である森木氏が、かれらがかつて太平洋戦争で戦い、戦友を失った地であるラバウルニューギニアを慰霊にまわり、最後にカウラの日本人墓地で慰霊祭を行いたい、ついてはカウラへ同行していただけないか、というものだった。
 高知県ニューギニア会は、一九四二年秋、ニューギニア東南部のスタンレー山脈地帯でオーストラリア陸軍と熾烈な戦闘を交えた帝国陸軍南海支援の生き残りによってつくられた会であり、濠洲カウラ会は、いうまでもなくカウラ捕虜収容所からの帰還者らが,集まって結成した会である。
 森木氏の要請を、私はもちろん喜んで承諾した。」