●「続・知らざる日豪関係」(237)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「それまで南忠男について、活字と報告書を中心に調べて来た私に、それは『内部』からの声を聞く、またとない機会だった。
 森木氏ら一行が、シドニーに到着したのは、そろそろオーストラリアが冬に入ろうという、一九八一年七月下旬のことだった。
 私は早速かれらに合流し、到着の翌早朝カウラへ向う慰霊団のバスに同乗した。
 カウラへの道、それはすでに私にとって何度も何度も通い慣れた道ではあったが、こうして暴動当事者である森木氏と同行するのは、それまでとはまったく違う、新たな印象を与えてくれた。
 この道は、三十九年前に、松葉杖をついてようやく歩けるようになったかれが,同じく傷の癒えかかった日本兵捕虜五人とともに、病院車に乗せられて、どこへ行くとも知れずに通った道だった。」