●「続・知らざる日豪関係」(238)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「バスの最前席で、私は森木氏と並んでかけ、ぽつりぽつりと語る彼の話に耳を傾けた。
 ニューギニアで負傷し、人事不省のうちに捕虜となり、野戦病院のベッドで目を覚ましたときの絶望感、このままではいけない、なんとか死ななくてはと思いながらもポート・モレスビー(注:パプアニューギニアの首都で、国内最大都市)からオーストラリア本土へ転送されてしまったこと、そしてブリスベン(注:クイーンズランド州の首都で、オーストラリア第三の都市)の陸軍病院で親切なオーストラリア人老兵に戦争が終わったらわしの農場を手伝いながら暮らさないかと説得され、一時は生への望みも芽生えたこと、病院へ見舞いに現われる在留邦人らの思いやりに、視野の狭かった己の身を恥じたときの話など、一つひとつ頭の中で整理するように話してくれた。」