●「続・知らざる日豪関係」(240)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「森木氏の答は、思いもよらぬ強い口調で返ってきた。
『一部の本には金沢さんが八月四日の夜に、この班はあの柵をやれ、この班はこっちの柵をやれと采配をふるい、まるで暴動の指揮をとったように書いてありますが、そんなことはありません。
 それはカウラ会の誰もが知っていることです。
 小島さんにしたってそうですよ。
 小島さんは暴動の前の班長会議が終わって出撃が決定したあと、自分の班へ、たしか十三班だったと思いますが、班のハットへ帰って来て、それから【ばかなことをするもんだなあ】と、ひと言つぶやいて出て行ったそうです。
 それでキッチンへ行って、一人で首を吊ったんです。」