●「続・知らざる日豪関係」(243)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「ネグレヴィッチ氏はなぜ南と比較し、『むしろ金沢のほうが・・・・・・』といったのだろう。
 小島正男軍曹の場合も明らかに違うように思う。
 演芸会やスポーツ大会以外、さしたる大きな活動のない捕虜収容所内にあって、その才能ゆえに全捕虜の人気を博していただけに、外部の眼、つまり情報部のボーマン准尉らには、あたかもかれが暴動計画でも中心であるように見え、それでマークされていたのではないか。
 森木氏の話からしても、金沢曹長、小島軍曹は計画に関与していたとは思えない。
 やはり首謀者は南忠男だったようだ。」