●「続・知らざる日豪関係」(255)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「地獄さながらの戦場に負傷あるいは病に倒れ、連合軍に救出され手厚い看護によって蘇生し、濠洲各地の病院を転々とし、このカウラにたどりついたのでございました。
・・・・・・しかし私達の心にどっしりとのしかかっていたのは、焼印のような捕虜の二文字でありました。
当時日本軍人としておかすことのできぬ戦陣訓に、どれほどか悩み苦しんだことでございましょう。
そして運命は酷しく、九死に得たわずかの一生をふたたびこの地で散らしたのでございます。
昭和十九年八月五日午前二時、深夜の寒空をついてカウラの草原にリュウリュウと響きわたった、南さんの吹き続けた進軍ラッパは今も私の鼓膜にまざまざとよみがえってまいります。
皆さん、あの晩は寒い晩でしたね・・・・・・』
祭文を読む森木氏の声は、読むというより叫ぶといったほうが適切だった。」