●「続・知られざる日豪関係」(260)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「第三章 海鷲は舞い降りたか (以後は、「関連部分」を抜粋してお伝えする)
 一九八一年十二月、オーストラリア国内において必要と思われる現地調査、資料蒐集をすべて終えて、私は真夏のシドニーから、真冬の東京へ帰って来た。
 帰国して間もなく、私は森木勝氏と連絡を取り、濠洲カウラ会の会員名簿と、収容所時代の『総員名簿』をお借りした。
 カウラ収容所帰還者の中から、さらに詳しく南忠男について知っている人物を捜し出そうと思ったからだ。
 その後の取材で何人かの『元捕虜』たちに会ってようやくわかったことなのだが、かれらのほとんどは他の会員の話をするとき、まず口をついて出るのは偽名のほうで、それからしばらく考えて本名を思い出すのである。」