●「続・知られざる日豪関係」(261)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「偽名で知り合い、偽名のまま、ともに捕虜という烙印を押されて生活したあの青春時代は、今もはっきりとかれらの中に尾を引いているようだ。
 この濠洲カウラ会会員名簿と総員名簿、それにメルボルン公文書保管室で入手した捕虜名簿を並べ、その捕虜名、捕虜番号、収容所間移送記録を照合し、私は南忠男と最も長期間生活をともにしたと思われる人を捜した。
 その結果、浮かび上がったのは、四人の人物だった。
 いずれもダーウィンで逮捕された、『ミョウケンーマル(丸)』の乗組員、すなわちベル中尉報告にもあった、南に続く捕虜番号のPWJM 110、002から PWJM 110、006の軍属たちである。
 ラヴディ収容所を除き、ヘイ、カウラ両収容所をとおし、かれらは約二年と二カ月の間、南とともに捕虜生活を送っていた。」