●「続・知られざる日豪関係」(263)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「捕虜名簿にある高原氏は、一九二〇年(大正九年)の生まれで、四人のうちでは最も若く、また一九一九年生まれの南忠男とは一番年齢が近い。
 その高原氏から見た南とは、どんな男だったのか。
 ヘイ収容所で、かれはどのような生活をしていたのか。
 モンタージュ写真の各部が、わずかずつ揃い、実物に近づいてゆくように、私はまた一歩、南の新しい映像が浮き出てくることを期待していた。
 高原氏の話では、このときの通訳兼尋問管は相当年配の老中尉で、その日本語もあまり上手でなかったらしい。
 オーストラリア側に日本語通訳が不足していたことがうかがわれる。
 一週間前の二月二十四日、南逮捕時の訊問にあたったのもおそらく同じ人物ではないだろうか。」