●「続・知られざる日豪関係」(270)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「それにオーストラリア人の監視兵に話しかけては、会話の練習などもしていたようです。
 はじめはほとんど駄目だったんですが、どんどん上手になりましたよ』
 ここで南が手に入れたラッパを、高原氏たちは『南の遊び道具』と呼んでいたという。
 その遊び道具を南はカウラ収容所へ移送されるときにも、私物として持って行った。 
 そして、遊び道具であったはずのラッパが、やがてあの暴動決行の合図となるのである。
 それにしても南はなぜ、軍用のラッパを吹くことができたのだろうか。
 ピストンのないラッパなど、普通一般の人にはそう簡単に吹けるものではない。
 戦闘機乗りになる前、あるいは海軍に入る前に、何らかの形で練習する機会があったに違いない。」