●「続・知られざる日豪関係」(274)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「南は民間人の中では、かなり評判が良かったようだ。
 それになにより、ブルームの『元日本兵』のみならず、こうして日本へ帰ってきた元潜水夫らの記憶にもはっきりと残っているくらいだ。
 南忠男とはいったい誰だったのか。
 捕虜収容所という、戦史の中ではほとんど光のとどかぬ舞台の上を、閃光のように駆け抜けて行ったこの若い主役は、一九四二年二月二十四日に現れてから、一九四四年八月五日未明に自らの短い人生の幕を閉じるまでの八百九十四日間、ついに何ひとつ過去を語らなかったという。
 そして今、かれはカウラの日本人戦争墓地で、墓標番号Q・C・18、『MINAMI TADAO 5−8−1944』の墓の下で、静かな永遠の眠りについている。」