●「続・知られざる日豪関係」(276)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「それに大阪の高原氏も、報告書の中にある『商船員』が、かれら自身であることに間違いないだろうとはいうものの、『オーバーオールを着た男』には会っていないので、これもまた不明である。
 したがってベル中尉が見た男というのは、南が逮捕された一九四二年の二月二十四日以前または以後、諮問委員会の開かれた三月九日までの間に、同じメルヴィル島内において不時着あるいは撃墜された、まったく別の日本軍機のパイロットであるという可能性も、ないとは言い切れない。
 そこで私は、ダーウィン空襲当日を除く一九四二年二月十八日より前の二週間と、後の三月九日までの、ダーウィン近海における日本軍の行動と被害状況を調べてみた。
 ダーウィン空襲は、もちろん海軍によるもので、その正式名称は『ポート・ダーウィン奇襲作戦』となっていた。」