●「続・知られざる日豪関係」(278)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「これだけの数の攻撃隊が、まず第一次として襲撃し、次いで第二次としてケンダリーの基地航空部隊(鹿屋空)から陸攻が二十七機、同じくアンポン(一空)からも陸攻が二十七機、合計五十四機が出動している。
 これはちょっと見ただけでも、驚くばかりの数字である。
 よくもこれほどの規模の兵力で、あの小さなダーウィンを攻撃したものだ。
 町も飛行場も、そして『ポート・ダーウィン』と呼ばれる港も、何回も見て回った。
 しかし地上で見ても、また上空から見ても、ダーウィンというのは実にこぢんまりしたところである。
 日本人の『都市』感覚からいえば、地方の小都市といってよい程度の規模でしかない。
 そしてそれは、一九四二年当時と今とで、さほど変っているとは思えない。」