●「続・知られざる日豪関係」(279)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「そんな小さなダーウィンに、これだけの数の攻撃隊が行ったのだから、軍港や飛行場上空はもう『日の丸』に埋め尽くされていただろうし、防戦態勢の整っていないオーストラリア軍が、大損害を受けたのも無理はないことだ。
 たしかにダーウィン空襲は、『オーストラリアン・パールー・ハーバー』と呼ばれるほどの大惨事だったことだろう。
 こうした『力』のアンバランスを背景に遂行された奇襲作戦であるから、当然日本軍側の被害は少なかった。

『被害、
【加賀】艦爆、【飛龍】艦戦、各一機自爆、壮烈ナル戦死ヲ遂ゲタリ』

 百八十八機の総出動機数中、被害はわずかこの二機だけである。
 ここでオーストラリア公文書にもどって、連邦政府諮問委員会でベル中尉が報告した内容に照合してみると、『地下五フィートの深さまで、機首から激突。
 搭乗員二名の焼死体は、陸軍により運ばれた』とあるのは、この『加賀』艦爆のことだと思われる。