●「続・知られざる日豪関係」(285)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「このダーウィン空襲の第一次攻撃隊に、はじめて豊島が編入されているのは、こうした楽観的な敵の動勢を考慮したうえで、これから次第に一人前の零戦攻撃隊パイロットとしての経験を積ませてゆこうという、上官の親心だったのではないだろうか。
 かれが編入されたのは、第一次攻撃隊の第一小隊である。
 小隊長は『飛龍』零式艦戦隊指揮官を兼ねる熊野澄夫大尉、僚機の二番機には新田春雄三飛曹、そして豊島一一飛(いっぴ)は三番機の搭乗だった。
 これは二カ月前の十二月二十三日に行われた、ウェーク島攻撃の第二次攻撃のときと、同じ顔ぶれである。
 指揮官としての大尉の後を、三飛曹とその一級下である一飛が続いて飛ぶというのは、明らかに、『後輩育成』が目的だったと思われる。」