●「続・知られざる日豪関係」(298)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
  

予科練といえば、全二十四期の卒業生三万五千人のうち、その八割以上が軍国日本の犠牲となって、蒼空に散っていったと聞いている。
『七つボタンは桜に錨』と、戦時中の青年の心を煽り、その結果が八割の戦死という、日本が太平洋戦争において払った犠牲を象徴しているような教育機関だった。
 靖国神社社務所が紹介してくれたのは、東京・田町に事務所を構えている、『海原会』という団体だった。
 早速私は会の事務所に連絡をとり、会長の長峰氏に前述の疑問についてうかがった。
『英霊の名前はなんでしょうか』
 と長峰氏は開口一番豊島一の名前をたしかめて、それからかれの経験も混えながら、被弾について説明してくれた。」