●「続・知られざる日豪関係」(320)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「名乗り出たのは、この日和歌山市から沈没四十周年記念式典に出席するために上京していた、小山富雄氏という元海上自衛隊三等海佐だった。
 小山氏は真珠湾攻撃からミッドウェイまで、飛龍九七式艦攻隊としてすべての攻撃に参加し、なんとあのダーウィン空襲では、豊島機の最期をまさに目の前で目撃していたのである。
『なにしろ四十年前のことですからねえ・・・・・・』
 と前置きしながらも、かれの記憶は実に細かく、そして話す内容は当日の情況を正確に再現するものだった。
『あのとき、私たちの艦攻隊は高度四千メートルを飛んでいました。
 豊島君の戦闘機隊はわれわれより千メートルほど上で、高度五千メートルぐらいのところを飛んでいましたね。」