●「続・知られざる日豪関係」(325)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「小山氏は、ダーウィン空襲ではその中隊長機の電信士だったために、後部上方の視角が広く、豊島機を目前に見ることができたのだ。
 九七式艦攻は三座式で、前座が操縦、中間席が爆撃照準手、そして後席に電信士と並ぶ。
『ト・ツ・レ』連送が発信され、突撃隊形に入ると、後席の電信士は通信機を背にして後方へ座席の向きを変えて、後部風防を開けて機銃を構え、後部上方からの敵機の襲撃に備える。
 中隊長機でこの状態にあった小山氏と、それに続く二番機の間に割り込むように豊島機が降りてきたのだから、まさに目と鼻の先だったわけである。」