●「続・知られざる日豪関係」(348)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「『ハワイのときでも、ミッドウェイのときでも、助かるとか、助けられるとか、そんなことはまったく考えてはいませんでしたよ。
ミッドウェイのときなど、爆弾を積んでは何度も発艦しましたが、そのたびに今度こそ帰れないと思っていましたからねえ。
それがまあ命拾いして今まできているわけですが。
みんなそうだったんじゃないですか』
真珠湾攻撃やミッドウェイ海戦などの大決戦は顕著な例であったとしても、ダーウィン爆撃のように敵の攻撃が少ないことが予想された場合など、ある程度は緊急時の救助に関し考える余裕があったのではないか、と私は思ったが、これに関しても小山氏は簡単に否定し、それどころか人員救助の水偵機が出ていたことさえ知らず、
『そうですか、多分【利根】(重巡洋艦)からでも飛んでいたのかもしれませんねえ』
とうなずくだけだった。」